メキシコ好奇心

 アステカ、マヤなどの古代遺跡から、ビーチやダイビングスポットまで、何でもあるメキシコ。 そんなメキシコの魅力を新鮮な現地情報とともに、たっぷりとご紹介します。

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Toluca(トルーカ)


 メキシコ州の州都、トルーカ。メキシコシティより高めの標高にありますが、規模的にはそれ程大きな街ではありません。街の中心地にはコロニアルな建物が残るけれど、近郊に遺跡があるくらいで観光客を惹きつけるものはあまりありません。
 
 観光客があまり来ない為でしょうか、ホテルやレストランの数も限られています。バックパッカーが泊まるような安宿も見かけなかったし、中心地から少し離れたバスターミナル付近以外、安く食べられる所もほとんどありませんでしたね。

 先ほど少し紹介したように、この街の周辺には2つの遺跡があります。一つはトルーカから北に8km行ったカリストゥラウアカ遺跡。ここはケツアルコアトゥルの円形状のピラミッド?があります。もう一つは、トルーカから南へ25km行った所にあるテオテナンゴ遺跡。ここは台地の上に造られた城塞都市で、ちょっとペルーのマチュピチュ遺跡と雰囲気が似ています。メキシコの遺跡の中ではちょっと異色かなぁ。遺跡を回ろうと考えている人にとっては、このトルーカが拠点になります。



トルーカ

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Oaxaca(オアハカ)


  メキシコシティからバスで7時間くらいはかかると言うのに、フリーの旅行者なら大抵訪れる街、オアハカ。それくらい旅行者の間では有名な街なのです。では、何がそんなに旅行者を惹きつけているのでしょうか?

  先ず言えるのは、この街では民族衣装を着た先住民族を見ることができるからでしょう。近郊にインディヘナの村々が点在していて、生活圏であるオアハカシティにはそう言った人達を多く見かける事ができます。彼らはスペイン語ではなく、独自の言語を話しています。先住民族のおばちゃんの中には、物売りの人でさえ、あまりスペイン語を解さない人もいるのです。

  彼らが作る民芸品は、どことなくユニークなものが多く、外国人観光客に人気があります。また、料理に関してもオアハカ独特の物が食べられますし、メスカル(テキーラのようなお酒)は、ここが産地です。ここはメキシコシティなど都会では味わえない、メキシコの別の顔を見せてくれるのです。

  2番目に言えるのは、観光資源の豊富さでしょう。この街自体にも見所は多いですが、何と言っても遺跡好きには絶対はずせない、モンテアルバン遺跡(世界遺産登録)やミトラ遺跡への拠点となる所でもあります。その他、TULEという近郊の町には、教会の前に周囲58m、高さ42mの巨大な木があります。

  3番目は、これだけ多くの楽しめる場所があり、観光客向けの施設も整っていのに、比較的物価が安いという事が挙げられるでしょう。滞在費が安く済むというのは大きなメリットですよね。その為でしょうか。この街には、外国人向けのスペイン語学校も多くあります。

  メキシコで尊敬されている大統領の一人に、ベニート・フアレスという人がいます。彼はこのオアハカシティから60km北東にある村の出身なのですが、貧しい環境から大統領までになったという事もあって、既得権力層に対して改革を行い、現在でもメキシコ人の間でヒーローになっています。彼は100年以上前の1872年に亡くなっていますが、彼の名前は、通りや学校などに今も残っています。



インディヘナの方達

TAPACHULA(タパチュラ)


  チアパス州第2の都市で、海岸線寄りの町や村の中心地。と言ってもメキシコ国内の他の都市と比較すると、極ありふれた田舎の都市という印象を受けるでしょう。それでも、この近辺では圧倒的な力を持つ商業の中心地なのです。一応デパートや大きなスーパーもあり、自分達の町や村にはない物でも、タパチュラでなら手に入れる事ができるのです。また、年中暑いこの地域において、デパートやスーパーの冷房は非常に有難く感じられるでしょう。

  また、別の面から見れば、ここはグアテマラとの国境の町。グアテマラからこの町に働きに来ている人もけっこういるのです。日曜日になると、公園付近では民族衣装を着た女の人を見かけたりもします。



タパチュラ

Merida (メリダ)


白い街」と称されるメリダは、ユカタン半島のユカタン州の州都。コロニアル時代の建物が、幅の狭い通りを囲んでいます。メリダはこの地域の商業都市でもありますが、マヤ文化の中心的な役割を果たしている都市でもあるんです。周辺には幾つかマヤの遺跡があり、それら訪問の拠点にもなっています。有名なウシュマル遺跡も、このメリダを拠点にして行く人が多いです。一方で、スペイン人が建てた豪華な家々も見る事ができます。当時の贅沢な暮らしぶりが想像されますね。

  メリダは植民地時代に直接スペインと話ができたせいか、メキシコシティとは距離を置き、政治色も違っているような感じを受けます。郊外にはインディヘナの住む集落も多いです。彼らはマヤ語を話し、家も昔ながらの方法で建てている地域もあります。この街は、多くの欧米の観光客を見かけると同時に、インディヘナの人達の日常の生活の場となっている面白い街です。


メリダ

Mexico D.F. (メキシコシティ)


   世界の中でもトップクラスの人口を誇るメキシコシティ。東京と同じく、様々な顔を持っています。中進国に挙げられるメキシコの首都は、お金さえあればほとんど何でも手に入ります。日本と同じような生活をする事だって可能です。日本食レストランもあれば、そういった素材を売っているお店もあります。博物館や美術館、遺跡など観光資源も充実しています。バスで1時間くらいの所に、太陽と月のピラミッドで有名なテオティワカン遺跡もあります。サッカー、野球、ハイアライ、ルチャリブレ(プロレス)などのスポーツ観戦も楽しめるし、世界的なレベルのコンサート、様々な民族音楽やダンスも楽しめます。観光客を惹きつける要素は全て揃っているといっても過言でないでしょう。

   しかし、残念ながら良い事ばかりではありません。飛行機でメキシコシティに近づくとすぐにわかります。なぜだかわかりますか?
   それは空気が汚れてくるからです。幹線道路に車が渋滞しているのも日常茶飯事です。排ガス汚染はかなり深刻な問題となっています。また、犯罪も多数発生しています。それには殺人などの凶悪犯罪も含まれます。リブレのタクシーは悪名高く、犯罪にあう可能性が高いので、安いからといって気軽にタクシーに乗ると言うわけにはいきません。自分自身で安全面を考えて行動しなければいけないのが、ここメキシコシティです。

   高級住宅街があるかと思えば、貧民街もあります。高級デパートがあるかと思えば、汚ない市場もあります。高級レストランがあるかと思えば、超格安の屋台もあります。交通機関だって、値段の高いタクシーもあれば、2ペソの地下鉄も走っています。その人の懐具合によって、どうとでも生きられる都市なのです。

  そんなわけで、メキシコシティには様々な人が住んでいます。大統領や大会社の社長が住んでいるかと思えば、貧しさから抜け出す為に、村から出てきた先住民の物乞いもよく見かけます。正に光と影。貧富の差を目の当たりにする機会も多いでしょう。

  このように様々の事を考えさせ、清濁一緒こたになった都市。それがメキシコシティです。


降旗

Puebla (プエブラ)



   プエブラは、メキシコシティから約2時間の距離に位置した所にある、スペイン人が建てたカトリック教会やコロニアルな建物が多い街です。その幾つかの教会には、亀裂が走った跡が残っています。1999年にマグニチュード6.9の大地震が発生し、プエブラの街の建物に重大な被害をもたらした時の傷跡です。

   1862年、ここに6000人のフランスからの侵入者がやってきました。この時、イグナシオ将軍率いる2000人のメキシコ軍兵士が、6000人のフランス軍を打ち破ったんです。その日が5月5日でした。

   その日を記念して、現在メキシコでは「プエブラ戦勝記念日」として祝日になっています。プエブラは、スペイン人の遺した陶器技術を高め、織物やガラス細工という手工業を盛んにしました。また、日曜日に街を歩いていると、広場ではガラクタ市のようなものや絵画の展示会のようなものが開かれていて、散歩するだけでも楽しい。芸術の香りが漂う街で、ある広場の横には幾つもの小さなアトリエが並んでいて、実際にそこで絵を描いてもらう事もできるみたいです。

   また、別の角度からこの街を見てみると、ここは大学の街。多くの学生がメキシコ各地からやってきています。そういった若者が街に活気を与えている面も見逃せないですね。



プエブラ

TAXCO (タスコ)


  タスコの街を一言で表現すれば、山の斜面にへばりついたような場所にできた、銀製品の街。
 
  昔々、銀鉱山で栄えたこの街。だからこそ、特殊な街の作りになっているのでしょう。坂道は多いし、道幅は狭い。車一台通るのがやっとの所も多い。それでも、当時の家々が残る街並みは、充分に観光客を惹きつけます。道を歩くだけで時代をタイムスリップした感覚になるかもしれません。ちなみに、現在ではこの観光資源を活かそうと、タスコの街並みの保存は法律によって守られています。

  タスコの街は銀が採り尽くされると、他の都市同様に衰退しました。しかし、銀細工という新たな工業を作り出し、蘇った街でもあります。街にはネックレスや指輪などの銀細工の店が所狭しと並んでいます。

 銀細工の購入目当ての観光客も多く訪れます。いずれにしても、メキシコシティからバスで3時間くらいで来れるという事もあり(日帰り圏内)、現在は観光地として発展を遂げている街です。



タスコの路地



この記事を読んでいてメキシコの銀製品に興味を持たれた方。メキシコまでは遠くてちょっとと言う方は、こちらでもご覧になってください。

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San Miguel de Allende
  (サンミゲル・デ・アジェンデ)



  温暖な気候で、コロニアル時代の建物が多く残るサンミゲル・デ・アジェンデ。その街並みは、メキシコ政府から保護されています。避暑地として、避寒地として、メキシコ人だけでなくアメリカ人にも人気があります。アメリカ人の中には、引退してここに住み始めた者も多くいらっしゃるらしい。その為、英語の理解度は他の街に比べて高いとか。

  ここには芸術学校もあり、アメリカ人を中心に多くの外国人が学んでいます。と言う事で、この街にもスペイン語学校が幾つかあります。アメリカ人が多いせいか、スペイン語学校の値段は他の都市と比べて若干高めのような気がしますが、勉強するにはもってこいの環境でしょう。

  歴史を振り返ると、この街もメキシコの独立に大きな役割を果たしました。街の名前、サンミゲル・デ・アジェンデは人の名前からとったもので、彼はメキシコの独立を目指して戦った人物です。彼は処刑されてしまいますが、彼を称える住民が街の名に残したと言うわけなんですね。ちなみにメキシコでは、英雄の名前をこのように街や通り、学校などによく使用します。

  この街には多くの祭りが催されますが、その中でも特筆すべきはパンプローナ(牛追い祭り;封鎖された通りに牛を放して、それを勇敢な人が追い立てていくという祭り)でしょう。毎年9月の下旬に行われています。始める前から、スポンサーのパレードあり、ダンスありと正に街はお祭りムード一色。この時期にメキシコに来る方は、是非どうぞ。



牛追い祭り

San cristobal de Las Casas 
(サンクリストバル・デ・ラスカサス)



  オアハカと同じく先住民族が多く住み、色取り取りの民族衣装で私達を楽しませてくれる街、サンクリストバル・デ・ラスカサス。マヤ3大遺跡のパレンケ遺跡もここから4時間と近いので、(ちなみにメキシコでは4時間はすぐ近くと言う感覚です)、多くの観光客が訪れます。
 
  サントドミンゴ教会の周りには、先住民が手作りのお土産物を売っていて、雰囲気はグアテマラに似ていますね。値段も安いと言う事もあって、買い物が目当てでやってくる観光客も多いです。周辺には自然を楽しめる見所もたくさんあって、観光資源には事欠きません。他都市と比べて物価が安いので、バックパッカーも多いし、安宿やインターネットなどの施設も充実しています。

  しかし、一見のどかに見えるこの街も、実は悲しい現実があるのです。ここは1994年1月に蜂起したサパティスタの拠点の一つで、政府と対峙している地域でもあります。

  この周辺の村には、トゥチル語など2,3の言語体系があり、それぞれの言語同士は互換性がないらしい。物売りのおばちゃん達は、同じ村の出身なら当たり前の事だけど母語で話をします。スペイン語も一応は話せますが、彼らにとっては母語ではないのです。となると母語話者の他のメキシコ人と比べると、仕事も限られてくる事になります。ハンディを背負っているんですね。
  もう一つ、このおばちゃん達が抱えている辛い現実。この辺はカトリックが主流を占めていますが、最近プロテスタントが普及し始めました。ところが周辺の村で、プロテスタントに改宗した人達を村から追い出すという事が行われたのです。その結果、土地も家もそのままにしてサンクリストバルの街に逃げてきて、近郊にバラック小屋などを建てて住みつき始めた人達が多く出てきました。その数はドンドン膨れ上がっています。物を売っているおばちゃん達の大半は、そんな厳しい現実を背負って生きている。ここに来るとサパティスタという集団がなぜ生まれたのか、少しは理解できるでしょう。



サンクリストバル

Zacatecas (サカテカス)


  サカテカスは、岩山に囲まれた谷に街が造られました。標高もかなりあり、時期にも寄りますが、夜などはかなり冷え込みます。

  サカテカスと言えば、銀というくらい銀山で繁栄した街です。特に18世紀の初めには、メキシコから産出される銀の20%くらいをサカテカス銀山が担っていたと言われています。19世紀になっても繁栄を続け、なんとここの銀は現在でも採掘されています。

  この街には、当時のコロニアルの建物も残っていて観光客を惹きつけていますが、なんといっても目玉は銀山の坑道を見学できるという事でしょう。現在では使用されなくなった坑道を整備し、途中まではトロッコ列車で行きます。演出もなかなかですね。
  銀山採掘は蟻の巣のように、上下左右に迷路のように掘ってあります。下の方は水が出てきて、採掘中止になった様子も窺えます。銀山見学は一度は見ておくといいでしょう。

  また、この街には充実した博物館もあります。元々ここはサカテコというインディヘナが暮らしていました。現在は混血が進んでいますが、私が出会った混血の人はサカテコの血を誇りにしていました。




サカテカス風景

Guanajuato(グァナファト)



  グァナファトは、かつては銀山によって栄えた街。そのような経緯で建設された街は、大抵の場合、細い路地で坂道が多いですが、このグァナファトも例外ではありません。しかもここの大きな特徴はトンネルが多いことです。市内の中心地へバスで行くと、トンネルの中に停留所があり、旅行者には非常にわかりづらい! また駐車場が少ない為、少しのスペースでも駐車に使われており、運転手泣かせの街でもあります。
  しかし街並みは、現世からタイムスリップしたような感覚をおこさせます。ユネスコの世界遺産にも登録されていますからね。

  温暖な気候とこの街並み、治安の良さでグァナファトを気に入る日本人は多いです。ここに移り住んだ日本人も何人かいます。欧米人にも人気で長期滞在する人が多く、この街にはスペイン語学校が幾つかあります。また、グァナファト大学では外国人の留学生を数多く受け入れています。大学にも外国人向けのスペイン語コースが開講されていて、日本人も多く学んでいます。グァナファトは芸術の分野においても有名で、毎年10月には ここでCervantino国際芸術祭りが開かれています。ちなみに今年はboomの宮沢さんがやって来ました。

  歴史を振り返ると、ここはメキシコの独立に一役買ったところでもあります。一時ここの銀山は、世界の銀の20%も産出していたと言われていました。しかし、銀で得た富の大部分は、一部の富豪の懐に入り、実際に苦労して働いていた鉱夫は貧しいままでした。そのような背景があって、独立戦争時にはグァナファト市民も立ち上がり、勝利をもぎ取ったのです。

  ちなみにここグァナファトでは、博物館も充実しています。その中でも有名なのがミイラ博物館。隣の墓地に入っていたミイラを展示しています。ここのミイラは、髪の毛や髭まで残っていてリアルですよ。




トンネル

Cuernavaca (クエルナバカ)

  常春と表現される街、クエルナバカ。この温暖な気候とメキシコシティからもバスで約3時間と近い為、大都会の喧騒を嫌うお金持ち達が、近郊に大邸宅を構える街でもあります。程よい程度の街の大きさと居心地の良さの為でしょう。この街には、外国人向けのスペイン語学校も多くあります。

  歴史を紐解けば、この地はスペイン人が来る前、アステカ帝国の支配下にありました。しかし、1521年4月にメキシコを征服したコルテスによって、街はスペイン人の手に落ちました。コルテスは街にあったピラミッドを壊して、その石材を使って要塞風の宮殿を建設しました。そこに彼や彼の子孫が住んでいましたが、18世紀には監獄となり、その後に政府のオフィスとして使用され、現在では博物館となっている数奇な運命をたどってきた宮殿です。
  
  クエルナバカで、日本人にとって見逃せないのがカテドラルでしょう。この教会の壁画に日本のキリシタン弾圧の絵が描かれているんです。豊臣秀吉が処刑した宣教師の中の一人がメキシコ人だったようです。壁画の端の方には、アルファベットで太閤などの文字も見て取れますが、残念ながらこの写真では見えません。
  
  そんな昔から日本と繋がっていたとは、なんだか不思議な気がしてきませんか。



教会の壁画と日本文字

San Juan Chamula
(サンファン・チャムラ村)



   サンクリストバル・デ・ラスカサスから北西約10kmにある村、サンファン・チャムラ。ここには、地元の宗教とキリスト教が融合した宗教が信仰されており、教会でそのお祈りの様子を見る事ができます。その為、小さい村だけれど多くの観光客が訪れます。ここの独特の宗教儀式は、一見何の変哲もない教会の中に一歩足を踏み入れるとわかります。(観光客は入場料を取られ、写真撮影は禁止されている)

  一応キリスト教という事になっていますが、中には神父様からお話を聞くイスなど見当たりません。その代わり、信者は松葉を床に大量に敷いて、その上に座ります。それから床に蝋燭を何本も目の前に立てて、お祈りをするのです。終わると次の人が蝋燭の残りかすなどをきれいに掃除して、自分達のお祈りの準備をするんです。見ていると食べ物や飲み物もたくさん持ち込んでいる人がいました。お供え物と言っていましたが、自分達でもけっこう食べていました(笑)。
 蝋燭だけでなく、香を焚いている人もいるので、キリスト教というより仏教的な雰囲気を感じます。それに中央の祭壇に祀られているのは、イエス・キリストではなくて、サンファン。村の名前にも付いている様に、サンファン信仰は強いようです。

  とにかく写真撮影は禁止されているので、自分で行って確かめてくださいね。


サンファン・チャムラ

Aguas Calientes (アグアス・カリエンテス)



   アグアス(水)、カリエンテ(暑い)。その名からイメージすると「温泉の街」かなと思うけれど、実際は普通の大きな街である。もちろん近郊には温泉のような所も存在しますが。アグアス・カリエンテスは旅行者にとってそれ程魅力的な街ではないと思う。わりと大きな街だけど、博物館や記念塔などのほんの一部しか見所はない。
   それよりも日本人にとって特筆すべきは、郊外に日産のバカデカイ工場があるという事でしょう。メキシコにおいて日本車と言えば、日産というくらいこの国ではシェア率は高いんです。その為、アグアス・カリエンテスには多くの日本人が住んでおり、その師弟の為の日本人学校もあります。但し、彼等の生活圏内は限られているのでしょうか、市場などにいくと物珍しそうに地元の人からジロジロ見られてしまいます。
 メキシコへ行く事は決めた。
 そうなると次にしなければならない事は、航空券の手配。
 陸路では行けないし、船だと膨大な日数がかかってしまう。ここはやっぱり飛行機ですね。

 でも、最初は何を基準に選んでいいのやら・・・。よくわかんない。
 やっぱりパックツアーにしようかなぁ・・・。
 そんな事、思っていませんか?

  
 そんなあなたに、このページは書かれているのです。
 良かったら、参考にしてくださいね。



  先ず、日本からメキシコへのルートで一番多いのが、アメリカを経由していくルート。アメリカンなどが代表的でしょう。安い値段で提示されている事が多いです。

  しかし、現在アメリカの航空会社を使う場合、一度アメリカに入国しなければなりません。つまり他の国のようにトランジットの待合室で待機するのではなく、イミグレーションでパスポートにスタンプをもらう必要があるんです。荷物も一度ピックアップして、また預けなければいけない。はっきり言って、かなり不便です。

  しかも入国審査では、テロ対策なのか、指紋押捺やWebカメラで撮影される事もあります。(僕が6月にシカゴ経由で行った時は全員されていました)

  おまけにアメリカの空港はバカデカイので、乗り継ぎも大変。シャトルバスや電車に乗って移動というのも珍しくありません。旅慣れていない人にとっては、ちょっときついかもしれません。


 
  わたしは英語もあんまりしゃべれないし、やっぱり無理かも。そう思った、あなた!

  そんな人にはJALがあります。いわずとしれた日本の航空会社。週2便しかないですけど、これってカナダのバンクーバー経由なのでとても楽。待合室に待機していればいいんですから。それに機内で日本語も通じますしね。

  
  以上、自分が何を重要視するかを考えて選べばいいと思います。
  


  次にアメリカの航空会社を選んだ方!

  航空券の値段だけじゃなく、到着時間にも注意してくださいね。特にメキシコシティに到着するなら、夜の便はなるべく避けましょう。
  
  入国審査だけでもかなり時間がかかりますし、ゲートを出るとメキシコ人が大挙して待っている。空港の外に出るとすでに真っ暗。慣れていない人はそういった状況だけでかなり不安になってくると思います。
犯罪に遭う確率も高くなりますからね。

  
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